オカリーナ、センシビリティー
日本語の「感性」ということばは、曖昧なことばです。
感情的なものや、感覚的なこと、さらには情緒や感受性なども
意味することばでもあり、使われ方も様々です。
そのため「理性」とは、対極のイメージで使われることも多く、
「論理性」とは切り離されたものと見られがちです。
音楽にとっては、日本語の「感性」がさまざまに意味するところも
とても大事なのですが、はっきり区別して捉えたいのは
「センシビリティー(感性)」です。
ほんの僅かな違いなどを捉え、認識し、識別し、判断する能力、
そのセンサーが確かかどうかということが重要です。
音程の違い、強弱の違い、音に関する様々な違いを
はっきりと分かるものだけでなく、ほんの微弱な違いを
どう捉えるか、どう認識するのか、どう識別するのか。
そして、それをどう判断し、その次は、・・・。
その次は、何でしょうか。
それを自分の表現の一部として音にすることができるかどうかです。
「感性」ということばを「センシビリティー」として捉えたとき、
はっきり見えてくるのは、「理性」との関係です。
決して対極ではなく、密に関わって、表現に結びつくことが
わかります。
さて、あなたの「感性」は研ぎ澄まされていますか?
オカリーナ、向かい合う指先
どんな楽器でも、演奏が上手な人の指先を見ていると、
見とれるくらいに美しく感じられます。
これは、スポーツにも通じることでしょう。
フォームが美しいと、記録も飛躍的に伸びるものです。
そんな風に見た目の美しさが、影響するものなのでしょうか。
ぼくの指は、太くて、ごつごつしています。
爪は変形して、いつもどこか、ひび割れています。
ギターを弾くので、左手の指先は角質化して硬くなっています。
それでもこんな手が、美しいと言われることがあります。
「美しい」というのは、もちろん当てはまらないでしょうが、
そう錯覚してしまうくらいに安定した指先の動きに
なっているのでしょう。
ほくが最初にお手本にしたのは、オカリーナ奏者本谷美加子さんの
指先でした。できるだけ早くにライブ会場に入り、
前の方に座って、指先に注目して見ていました。
もちろん、一人の女性としてもとても美しい人ですが、
その指先の美しさは今でも目に焼き付いています。
まず、彼女の凛として前を見つめる姿勢が素敵です。
オカリーナは微妙に角度を変えて音を探ることがありますが、
必要以上に姿勢まで変えて吹くことは好ましいことでは
ありません。
オカリーナを持つ、左手と右手の指先は、お互いが
向かい合う形になります。
指先が曲げられた柔らかい角度と向かい合う指先に
よって、丸みのある空間が手のひらの中に生まれます。
その丸みのある空間の中にぽっかりとオカリーナが
浮かんでいるような感じです。
オカリーナを持つ前に、この指先の形をまねてみましょう。
祈りを捧げるように、両手の指を交互にからみ合わせて
みてください。
その両手の手のひらの中に丸い空間が生まれるくらいに、
そのまま少しずつ離していきます。
この丸みを帯びた空間が、オカリーナの音色を作り出すのです。
さあ、オカリーナを持って、同じように美しい指先で
その丸みのある空間に息をそっと吹きこんでみてください。
オカリーナ、イメージを持って
人は、イメージに描いたように生きています。
なかなかイメージ通りにならないのが、人生なのですが、
そう思いたくなるほど、常にイメージを描いているのが
人間です。
オカリーナの音色は、実にイメージを刺激する音色です。
呼吸をするような、鳥がさえずるような、歌を歌うような。
風が吹くような自然の音にも似て。
人は、イメージを描くことによって、感性を高めることが
できる動物です。感性が高まることによって、さらに
イメージに深みが加えられます。
一方で、人は、知性を持つ動物として知られています。
考え、判断し、行動を制御します。
時として、人は、その知性によってのみ生きているのだと
勘違いしてしまいます。知性と感性とを比べて、より
優れているものとして知性をより重視することがあります。
どちらが必要で、どちらが重要ということではなく、
知性も感性も同じようにバランスが必要です。
イメージを描くことは、そのバランスの中でもとても大切な
ことです。
さあ、あなた自身が小鳥になって、鳥の歌を届けて
みましょう。
オカリーナ、手のひらの中の笛
オカリーナは、手のひらの中に包み込まれてしまうような
小さな楽器です。
もちろん、低音用に作られた大きな楽器もありますが、
一般にメロディー用に使われる楽器は、両手で持って
心地いい実にしっとりとした重量感のある楽器だと思います。
その大小の大きさの幅は、もしかしたら心臓の大きさの違いに
近いのかもしれません。楽器そのものがハートに思えるのは、
私自身がオカリーナ吹きゆえのひいき目でしょうか。
多くの人は、オカリーナそのものが鳴るのだと思っています。
ところが、ぼくが誰かのオカリーナを借りて吹いたとしましょう。
不思議なことに、その人が吹く音とまったく違う音が出るのです。
「それは、あなたが先生だから、技術があるからだ。」と
言われます。
でも、実はそうとも限らないのです。
オカリーナは、人の体と一体となって響いているのです。
ほら、モノマネで清水アキラという人が、時々、
口を開けて手のひらをその口に叩きつけて、「人間鼓(つづみ)」
で「ポポポポン!」ってやるじゃないですか。
ちょっと話が飛躍しすぎたかも知れませんが、
あれと同じことがオカリーナの音でも起きているんです。
実は、体がオカリーナの音を響かせているんです。
これは時折ほかの楽器でも見られることですが、
オカリーナでは特にそういう要素が大きいと感じています。
基本は「歌」だと思います。
歌う時に、響かせようとする体の働きが、
オカリーナの音にも必要なのだと思います。
どうですか。この小さな楽器の大きな可能性が見えてきましたか?
どうかあなたの好きな歌を聞かせてください。
オカリーナ、アルファ波の調べ
人間の脳は、常に活発に活動していて、さまざまな周波数の
脳波(電気的信号)を発していることが知られています。
その脳が、リラックスしている状態にあるとき、
10ヘルツ前後のゆったりとしたゆらぎのある信号が
全体に占める割合として多くなるそうです。
この10ヘルツ前後、8〜13ヘルツの脳波(電気的信号)を
α波(アルファは)と呼んでいます。
オカリーナの音そのものは、非常に高い周波数が多く含まれて
いますので、時折見かける「α波を発する(奏でる)オカリナ」
という表現は、オカリーナの音そのものの中にα波があるような
誤解を招くおそれがあります。
実はそうではなく、オカリーナの音を聞いて、脳がリラックスした結果、
α波が他の周波数の脳波より多くなるということが、今のところ、
知られている事実のようです。
なぜそうなのかということに関しては、はっきりと解明されて
いるわけではありません。
いちばん確かなのは、オカリーナの音が、自然に発生する、
洞窟が風で共鳴する音だとか、風そのもののうなりの音に
似ていることなのだろうと思います。
もしかしたらその共鳴の中にα波があるのかも知れません。
いずれにしても、響きあうことは、音楽の楽しみのひとつです。
むずかしいことはわかりませんが、リラックスして
聞いていただければ、こんなうれしいことはありません。
オカリーナ、微笑みの口元で
オカリーナの吹き口、これを「べっこ」と言うらしい。
ヨーロッパで発達した楽器の多くは、吹き口は取り外して取り替えることができる。
この場合の呼び名は「マウスピース」と言い、マウスピースに対して口元の形を
「アンブッシュアー」と言って、いかにこの形を作り上げるかが重要なこととして
時間をかけて修得するもののひとつである。
オカリーナだけが特別というわけではないのに、別の呼び名が使われて、
口元の形もあまり意識されないというのはどういうことだろう。
実は、オカリーナの吹き口は、割と無造作にくわえて、無造作に息を
吹き込んでも、だいたい同じような音が出るように作られている。
息の楽器であるにも関わらず、一人ひとりの息の違いを吸収するような作りに
なっていて、誰が吹いても同じような音が出る楽器がいいとされているのだ。
もともとが一体成型の「焼き物」なので、取り替えることができない。
そのため、製作者は、もっとも神経を使って、この「べっこ」を作り上げる。
こうして、オカリーナは、誰でも吹けば音が鳴るように作られる。
それでも、口元の形には、重要な意味がある。
口元には、様々な筋肉が集まっているからだ。
たとえば、舌を使って、「トゥトゥ」と吹く「タンギング」だが、
口元の形によって、舌を動かす筋肉が微妙に変わってくる。
さらに、口の中の空気の形や通り道、息の圧力も変わってくる。
どうしたらいいのか・・・むずかしいことは考える必要はない。
アンプシュアの基本は、「微笑みの口元」だ。
機会があれば、クラリネットやフルートを吹く人に尋ねてみるといい。
「アンプシュアの基本の形は何ですか。」と。
たとえば、赤ちゃんの口元に人差し指を近づけると、
吸いつくようにその指を吸い始めるだろう。
それぐらい柔らかいイメージをもって、「べっこ」に唇をふれて、
微笑むように、少し唇のはしを持ち上げるといい。
えくぼがない人も、えくぼが出来ているようなイメージで
気持ちも明るく、オカリーナに息を吹き込もう。
ほら。その一瞬から、未来の音色が聞こえてくるだろう。
オカリーナ、一息の風船
風船をふくらませたことはありますか。
今、目の前にゴム風船があると想像してください。
色は、あなたの好きな色で・・・。そして、
これからそのゴム風船をふくらませると思ってください。
さあ、今まさにそのゴム風船をふくらませようと、
その瞬間、あなたは自然にある行動をするでしょう。
息を・・・大きく吸いましたね。
まさに、理想的な腹式呼吸で。
なぜでしょうか。
あなたは経験上、ふくらませるのには、
「おなかの圧力が必要」だと知っているからです。
本当に圧力をかけて、風船に息を吹き込みます。
さて、目の前にあるのが風船ではなく、オカリーナだとしたら、
力をこめて息を吹き込むと、風船のように
戻ってくる圧力がないので、息がぜんぶ抜けてしまいます。
このとき、息にかける圧力を、自分の体の中に
押さえこむようにするのです。
そのまま息を出すのではなく、バランスを保つ、
その方向に圧力を使うのです。
実は、風船を膨らませようとするときには、
自分の体も風船になっています。
どんどんしぼんでいくやわらかい空気のかたまりです。
膨らませた風船の口を手で押さえているとして、
その手を離すと、一気に抜けてしまいます。
オカリーナは、かたい材質でできていますから、
自分の体もイメージとしては、空気が抜ける風船ではなく、
巨大な注射器のようなイメージです。
空気が抜ける風船は、一気に空気が抜けてしまうけれど、
注射器は、少しずつ、圧力を保ったまま、空気を出し続けます。
息を吸うときは、風船。息を出すときは、注射器。
これがオカリーナを吹くときの息のバランスです。